みいこの日記

令和生まれの女の子と猫と優しい旦那さんと暮らす、東京在住みいこの日記です。

【出産時】陣痛中に死にたくなって転院した話

子どもが産まれて今日で53日。2ヶ月前はまだお腹の中にいたんだなあと思うとなんか不思議。

私は妊娠中と出産がかなり大変だったせいか、産後に気持ちが落ち込むことも無く、毎日楽しく育児ができています。

大変だった出産時のことを書いておこうと思う。

出産予定日を4日越えた時点で全然産まれる気配が無く、このままだと正産期(安全に埋める期間)を越える恐れありとのことで入院。
医療処置で陣痛を起こすことになりました。

その日は水曜日で、「いつになるかはわからないけど今週中には産まれますよ!来週に延びることは無いですね」と助産師さんから言われ、ついに今週産むんだと、不安と楽しみが入り交じる心境だった。

私は産む直前までつわりがあって、食べ物が合わないと吐くし歯磨きすると吐くしという状況が妊娠中ずっと続いていて、出産する前にけっこう疲れ果てていたのかもしれない。
とにかく早く産みたかった。

入院した病院は都立の古い総合病院(分娩費用の安さでそこを選んだ)。
覚悟はしていたけど食事の酷さには笑った。つわりもあって全然食べられなかった。

検査の部屋と分娩室が一緒になった大部屋で、カーテン1枚挟んだ隣のベッドはまさに出産間近。
のこぎりで少しずつ身体を切られているんじゃないかと思うような絶叫中(それは結局10時間くらい続いた)だった。

恐怖心が湧き上がってきたが、私は痛みに強い方だし、なんとなく安産な気がしていたのできっと耐えられる、頑張ろうと、その時点では意気込んでいた。

初日は子宮口を広げる医療処置で経過観察。
これで産まれてくれるといいねと先生から言われたが、超重い生理痛のような痛みがきて唸るもまだ我慢出来る程度で、状況はそれ以上進まず。

その日は痛みとお隣の絶叫とドキドキであまり眠れないまま夜を過ごした。

入院2日目は点滴で陣痛促進剤を投与。
初日とは比べ物にならない痛みがきて子宮口も半分近く開いた。

痛みを例えるなら、油断している時にボディブローをくらってその瞬間の痛みが継続的に続く感じ。
10分間隔で気絶した。

しかしその日も状況はそれ以上進まず促進剤は中止。
その時点で、きっと帝王切開になるなと思った。なぜそう思ったかというと、促進剤を使ってもなかなか産まれない時は母体も体力を消耗していて危険だから帝王切開に切り替えるケースがけっこう多いということを、妊娠中いろんなブログや動画で見ていたから。

だから、その時点ですでに疲労困憊していた私は、もう切って(帝王切開にして)欲しいんですけど!と医師に泣きながら訴えた。

しかし「明日も促進剤やってみよう、今日より絶対進むから頑張ろう」と助産師に励まされ、促進剤2日目に突入することに。

促進剤2日目は前日よりさらに強い痛みだった。もう気絶できるほどの間隔もない。疲労も限界だった。私が入院してから同じタイミングで陣痛がきていた7人ほどはみんな産んでしまった。私ひとりだけがずっと苦しんで残ってる。なんで私だけ産めないのかと、痛みと不安と焦りでパニック状態になった。

しかしそんな状態の私に追い討ちをかけるように、耳を疑うような言葉が、診察してくれていた医師から告げられる。

「あれ、子宮口昨日より縮んじゃったね…」

え?助産師さん昨日より絶対進むからって言ったよ?ひどい。うそつき。
そこで私は号泣。
泣きながら早く切ってほしいと訴えた。
しかしその訴えは聞き入れられず、更に医師から続いた言葉が私を絶望に追いやった。

「明日1回家に帰ろっか」

その日は金曜日で、土日は処置できないから土曜日1回家に帰って月曜日にまた促進剤を入れよう、とのこと。

は。この状態で家に帰れと?そして少なくとも後3日この痛みに耐えろと?無理に決まってるじゃん死ぬわ。来週にはならないって言ってたじゃん。みんな産んでるのになんで私だけ…てゆうかなんで切ってくれないの…

言いたいこといっぱいあったけど泣くしか無かった。子宮口が縮んだせいで分娩室じゃない部屋に移されたら、ずっと傍にいてくれた主人も1度家へ帰らされた。

その日の夜は一晩中2~7分間隔の激痛で痛すぎて横になれず、立ってもいられず座ってもいられず。
夜の都立病院は助産師不足なのか誰も来てくれない。ひとりでずっと何かに捕まりながら2歩進んでは戻って…を2m四方で繰り返した。

寝てない食べてないで体力の限界だった。暗くて狭い箱に閉じ込められたような気持ちで精神崩壊寸前だった。誰もいなくてひとりで死にたくなった。
ずっと痛い。ほんとに痛い。早く産みたい。でもこの状態であと3日過ごせと言われている。そんなの耐えられない。逃げ出したいけど逃げられない。どうするどうする。誰か助けて。

そんな状況で私にひとつの考えが浮かぶ。
「もうここでは産めない!」
そう思ってから私の行動は早かった。陣痛の来ていない瞬間を見計らって、都内の産婦人科で、無痛分娩か帝王切開で出産可能な病院を調べた。もちろん駄目元で、でもまさにすがる思いで、問い合わせフォームに今の状況を書いて転院させてもらえないか頼み込んだ。同じ内容で3つの医院に送った。

するとひとつの医院からすぐに連絡が来た。
「かなりリスクはありますが、明日すぐに来てくれるなら診ますよ」
多摩市にあるA病院。後から聞いた話だが、無痛分娩で有名でなかなか予約が取れない人気の病院らしい。深夜にも関わらず院長から直々の電話だった。神様だと思った。ちなみに残り2つの病院からは後日丁重に断られた。

早速今の病院で医師にそのことを話すと、もちろんいい顔はしなかったが、そう決まったなら早い方が良いとすぐに紹介状を書いてくれた。
明け方家族が迎えに来てくれ、車で都心から多摩市へ約1時間の移動になった。

移動中も私は7分間隔の陣痛で叫んでいたし車の中で産まれる可能性もあってそれはそれは大変な状況だったが、家族も傍にいてくれ、やっと産めるという希望もあって気持ちは安堵し、パニックからは解放されていた。

A病院には無事に到着した。そこは都立の病院とは比べ物にならないほど綺麗で、リゾートホテルみたいな場所だった。

どんな書類手続きよりも先に、院長がまず無痛分娩用の麻酔を入れてくれた。すっと痛みが引いていった。痛みが無くなったことを確認してから促進剤を投与。かなりの量を入れたが、私は心からリラックスしていて、そこから10時間ほどで無事に出産することができた。無痛分娩でも意識はしっかりしていたしちゃんと産む感覚はあった。

よく「出産の痛みは忘れる」っていうけど、私はあの産む時の幸せな感覚を一生忘れたくないと思う。

A病院の助産師は全員ホテルマンのようにホスピタリティが高く、 最初の病院のスタッフの100倍くらい優しかった。産後入院した部屋は、私の分はもちろん、旦那用のパジャマと3食の豪華な食事(4日分!)がついたダブルベッドの広々個室で、本当にホテルにいるような感覚だった。しかもプランには産後のマッサージとヘアカットまで付いていた。

まさに地獄から天国に這い上がった気持ちだった。旦那には「執念だね」と言われた(笑)

産後の診察の際に先生が、「あの状態で家に帰れは酷いですね、子宮口も開きにくかったので、月曜日まで頑張ったとしても結局帝王切開になっていた可能性は高いと思いますよ。実は羊水も濁ってきていて、時間が経てば感染症を起こす可能性もあった。お母さんの判断が早くて、うちに転院してきてくれて本当に良かったですよ」と優しい言葉をかけて頂いた。
この病院の人たちはみんな神様です。号泣しました。

…そんな訳で恥ずかしい&情けない話、陣痛をリタイアして急遽無痛分娩で産んだのでした。
人生最大のワガママを言ったと思う。いろんな人に迷惑かけました。お金も超かかりました。A病院にも旦那にも家族にも本当に感謝しかない。この感謝の気持ちを一生忘れずにこれからも引き続き育児を頑張っていくと誓います。

※最初の都立病院も助産師さんも悪いわけでは無く、ただ「値段なり」という感じでした。これから産む方は産む場所はよーく吟味した方がいいと思います!

何はともあれ無事に産まれてくれて本当に良かった。子どもも長い間頑張ってくれたと思う。ありがとう。

もうすぐ2ヶ月!
これからもすくすく元気に育っていってね
f:id:ioch:20190724153227j:plain